A FANG OF FIRE

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[音楽ブログ]ミュージシャンとしての心得

2019.09.19
毎日やらない、だから失敗する

前回のブログ http://kihiro.net/music/音楽ブログミュージシャンとして生活する為のオ を読んで、特に若いこれからのミュージシャンは「んだよ、俺/私は音楽だけでやりたいんだ!」って思う人いるでしょうね。僕自身、そう思いながら10~20代は考えて生きてましたから。
前回お伝えしたのはあくまで方法論であって、別にそれが正しいとは思いません。自分の経験上、人生を歩む上でオススメしたかっただけです。

音楽だけでやっていきたいのは重々わかるんだけど、大抵の人が成功せず20代後半、30代後半でバタバタと諦めて音楽業界から離れていきます。僕くらいの世代で音楽続けてる人はよくわかると思います。この2〜30の後期って本当急激に仲間が減るので。対バンしていたバンド仲間が少なくなり、イベントを制作しようにも仲のいい同世代の相手が少なくてよく悩みました。
年の変わり目というのもあり、皆んなそれぞれの人生の選択を考える時期でもありますよね。
僕も音楽は続けてますが、20代の頃のように毎日音楽漬けでは現在ありません。音楽だけでなく、別の夢も叶えるべく毎日勉強、技術向上に励んでます。

見出しに書いた「毎日やらない、だから失敗する」、皆さんは身に覚えありますか?これこそ、失敗する原因。むしろ失敗の原因なんてこれしかないって思います。
例えばバンドをやっている。うん。ではバンドは毎日やってますか?毎日メンバーと会ってますか?毎日ライヴしてますか?練習してますか?ニュース出してますか?新しい人と会ってますか?ライヴハウスに行ってますか?仕事に繋がる飲みに行ってますか?
あげたらキリがないくらい音楽成功の為に捧げることは山ほどあります。大抵のバンドマン、と言う生き物は毎日バイト/仕事として稼ぎで残ったお金でスタジオ入って、ライヴして、レコーディングして、ですよね。大抵の人が見落としてるのが、毎日欠かさずに音楽をやるという作業。それは上記に挙げた事でもいいし、なんでも良いんだけど。毎日続ける事を実はほとんど人がやっていない。
で、自分に言い訳。「時間がない」「疲れてる」「やる気が起きない」等々。
前記事にも書きましたが、じゃあそんなに好きじゃないんですよ。すぐやめたほうが身のためです。

Everyday Practice Never Betrays YOU

じゃぁお前はどうなんだ?と聞かれそうです。ので少し過去を振り返ります。

僕は21歳の時にアメリカで音楽をやろうと決め、渡米しました。18歳の頃にも1度渡米し、2年制の短期大学に入学したのですがバンドメンバーがどうしても見つからず僅か1年で帰国。通っていた大学には音楽専門のカリキュラムもあったので勉強しつつ現地メンバーを探しましたが、まずメン募が無い。僕がいた町、カリフォルニア州のロングビーチという町はジャズ・ヒップホップが盛んだったのでまぁロックバンドが少ない少ない。またアメリカの大学は入るの簡単だけど卒業するのが難しいで有名です。とにかく成績重視、宿題多いし必須科目もこなさないとやりたいカリキュラムにも入れないと言う皆さんが思う以上にハードル高いです(まぁ色々抜け道はありますが)。と言う訳で18歳のクソガキだった僕は早々に諦め帰国、日本で元々働いていたスタジオへ戻りメンバーを集めバンドを始めました。
当時は英詞で歌うバンドがほぼいなかったです。全国探しても多分両手分もいなかったのでは?!?!マジで。
なんせ、「英詞なんて売れない」って言葉が自分へ常に飛び交う時代でした。
耳にタコができるとはこの事だと思うくらい、否定され続けたので、やはりアメリカで勝負しようと決断し21歳で再度渡米しました。その際にメンバーを説得し、全員アメリカへ移住までと至る訳です。
どのようにして、アメリカにメンバー全員を移住させたか?などの細かい情報や方法はまた別のブログで説明しますね。

毎日バンドの為に…

この頃から毎日が戦い。メンバー全員が同日に渡米した訳ではないので、先ずは自分が行き、その次から次と次第にメンバーが集まってきた感じです。
始めの2年間は、5人中3人しか移住できず残りの二人は3ヶ月に一回、航空券を購入して2週間滞在するという方法でした。3人が同じアパートの2LDKに住んでたので、2人はそこに泊まる感じです。ちなみに僕はそこのリビングで生活してました。その2週間で曲作り、週末はライヴというのを2年続けました。作曲も当時始まったHotmail MSNを利用してのチャット機能を使って、5人がチャットしながら曲を送り合うという今では考えられない方法で作ってましたねー笑 まだDTMもDAWも出たばかりだったし、元々僕らはスタジオに全員入ってジャムりながら曲を作るというスタイルだったので。

実はこの頃にPay money To my Painの K、T$YOSHI, PabloやGreeeNのプロデューサーJIN君らとアメリカで出会ったのです。その話はまた別で^^

3人一緒に生活してたので、基本学業とバイト以外はメンバーと作曲やバンドの話を永遠にしてる感じでしたね。あ、ちなみにバイトはちゃんと査証がないと学生がしては本当はダメですw 大体皆んな隠れてバイトしてましたけど。それもまた別のブログで。

2年後に全員がようやく集まり、5人で引っ越してアパートを2部屋借り、3:2隣同士の部屋で生活が始まりました。ここでも色々な事件がありましたが、別のブログでw
そして3年後、初めてのアルバム
https://music.apple.com/jp/artist/supe/119629493
を制作!当時は超人気プロデューサーだったSylvia Massy Shivyという方のスタジオで作りました。これもまた裏話ありますが、別で。

これを作ってから3ヶ月後、我々5人はアパート捨て3ヶ月間で65本全米ツアーを敢行しました。

はい、長くなってきたので今回はこれくらいにしますが、伝わりましたでしょうか?始めのアルバムを作るに至るまで、我々5人は毎日、毎日バンドの事しか考えず行動してました。学業も滞在の為、バイトもバンド資金の為、寝ても覚めてもバンド。このアルバム以降から更に毎日バンド漬けになります。バンド以外何もない状態に入ります。それはもう大冒険でしたので、今後のブログで紹介していこうと思います。
当時にもブログでアフィリエイト、YouTube、ライバーとかあって現代くらい儲けに繋がるシステムだったらきっと5人ともやってただろうな…、しかも絶対面白い。数々の事件に巻き込まれたあの経験をあの場で配信できていたのなら。。。記録が脳みそにしかないので、今後も引き続き書いてお伝えします。

現代の若い子は本当チャンスだらけ。それは忘れずに。
音楽続けて来てる人は、僕のように何か始めるのオススメします ^o^/

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